鉱物マニアの皆様、ゴールデンウイークはいかがお過ごしでしたでしょうか?比較的天候に恵まれた連休で、皆様各地の山に川にと暗躍されたことと思います。
 さて、我々もせっかくの連休なので、豪華1泊2日水晶ツアーを組んでみた。いつものメンバー+補助エンジンの4名で、まずは昨年からの宿題、向山訪問、川上村湯沼鉱泉で一泊、小川山へという、山梨・長野県境水晶コースを組んでみた。

 仮称・向山第二は昨年ズリの転石を確認したが、ズリ山や抗口を確認しておらず、今回はズリの出元を確認するのが主な目的。向山は江戸末期から昭和初期までの水晶鉱山跡が広い地域に渡って多数点在している。いずれも小規模なもので、大きなガマを一個あてて終わりというものが多いようだ。又、透明な水晶以外の鉱物の産出はなかったようで、黒平の他の地域のような多様な鉱物を採取することができないため人気がないのかも知れない。

 探査当日は快晴、道路状況も大方順調で、10時には向山への道を登り始めていた。林道終点では、ズリから落ちてきたと思われる透明度の高い水晶・石英片が、あちこちに見られる。ここは、他の鉱区よりその手のお印が異様に多く見つかるのが不思議だった。さて前回到達地点まで難なく到達し、表面探査をしながら急斜面を上方に向かう。途中、大きなお印や小さな水晶などを喜々として拾う。斜面を登るうち、石英片は枯れ沢沿いにあることがわかる。

 ふむふむ、前回到達地点では沢は植林のため埋められて伏流して完全に消えていて気がつかなかったのだが、周辺の石英や水晶片はこの沢が運んできた物のようだ。そうとわかれば話は早い、ともかく枯れ沢をひたすら登る調査隊だった。しかし、ここで少々問題発生、恥ずかしながら出撃直前に腰をやられてしまい、腰が伸びない、いわゆるぎっくり腰状態・・・傷みをこらえながら登る私、執念で登る、欲望は傷みを乗り越える?

 明治時代の鉱区と言われるポイント地点は、とっくに過ぎたのだが、それらしい地形は現れない。枯れ沢は上部で少量の水が流れていて、途中から伏流していた。枯れ沢沿いには相変わらずお印があり、ポイントはもっと上だと言うことを示している。相当登りまもなく峰かと思われる地点まで来ると、沢の水の供給源が抗口だった。むむ!これは立派、他の江戸、明治の抗口とはぜんぜん違う。坑道内部は広く問題なく立って歩ける規模だ。

本抗?抗口→

 まさか今回、入坑は無いと思い装備がないため入口付近を少々探索するにとどめる。落盤跡は無いが、この山はもろい花崗岩なので危険だ。この抗口は、推測だが第二次大戦中に開けたものだろう。手堀とは思えない大きさだ。喜びのあまり、しばし腰の痛みを忘れる私。K氏、Wセンセ、補助エンジン、それぞれ周辺探索とズリ調査を喜々として始めたのは言うまでも無い。やがてこの抗口の裏に、もう一つの抗口?を発見、ズリに半分埋もれるように抗口が口を開けている。内部は半分水没しているようだ。

←第2抗口

 2次大戦中、明電舎が水晶発振子の原材料を得るために向山で採掘を行った記録がある、第二抗前の大量のズリから考えて、組織的に大規模に採掘を行ったものだろう。ここの大量なズリが、沢沿いに流されて下流でも採取できるのだろう。これで昨年来の宿題は、ほぼ解決。

ズリ表面→

 そう大きくはないが、表面探査だけでポチポチと透明度の高い水晶を拾う。他の鉱区の水晶とはまた少し趣が異なるようだ。内包物のある物、山入りも見かけるが、水晶以外の鉱物は皆無なのは、他の鉱区と同様。
それにしても、腰が・・・帰りは適当な枝を拾い、ストックとして使用しながら下山、こりゃ明日の小川山は無理かな?不名誉リタイヤだけは避けたい!<合宿2日目に続く>

 抗口探しが目的?になってしまっている感があるが、これは探鉱学?ま、とりあえず標本採取もしてます。ここの水晶は透明度が高い。小粒な物しか残っていないようだが、表面探査でもポチポチ拾える。

 透明度の高い、山入りやマリモ入りも見かける。標高の高い他の鉱区より、山の花崗岩が風化していて、石英の脈は見られない。石英・水晶の透明度は高い。

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